17日(水)

〈浜本さんと、22日の忘年会リサーチ〉
〈ネジさん浜本さんと三人で雑談〉
「振り付け」という概念についてしばし話しました。東洋の伝統舞踊や、日本のダンスシーンにおいて、重要とされるもの、それは見ている効果のための振り付けではなくて、心身の深い所からなにがしかの力を引き出し、場の状態を変える。目に見えることが前提の物事の繋がりから、別の繋がり方を引き出す。だから、自分で踊る限りパフォーマンスそのものと振り付けを切り離すこと自体が難しい。それが、西欧の概念にはそぐわないとしても、そういう在り方自体に価値を見いだしてそれをアピールすることは可能な気がする、というような話になった。

〈実験的練習を人ともシェア
羽鳥君
捩子ぴじん
と共に先日大阪「ラボカフェ」で体験した佐久間さんの実験を、もう一度再現してみました。そしてその経験を言葉でシェアしてみました。
そちらの記事はこちら↓
http://natsukote-see.blogspot.com/

●内容

1)水が半分入ったペットボトルを横にして、両手で挟んでこれを左右に揺らすと、口の方に水があたった時の「パン」という音がする。それを規則正しくならすということを続ける。
2)透明なプラスチックコップに水を注いだり、逆にコップ満タンの水をペットボトルに返したりするのを何回も繰り返す。表面張力が働いているところから水が溢れ出す瞬間を大切に。
3)水の入ったペットボトルを頭の上に載せて歩いたり座ったり、寝転がったり寝返りを打ったりする。

そのあと、それぞれ即興で動いてみた。それぞれ人のことより自分の実感に集中。

●みんなの感想
「捩子ぴじん氏の感想」コップの水を持っている時と、ペットボトルを持っている時では、自分の居方がぜんぜん変わった。コップの水を持っている時は、緊張していて、静かな感じ。ペットボトルを持っているときは、安心してるけどざわざわしてる感じ。

「羽鳥くんの感想」ペットボトルなどを手から手放したい気持ちが強かった。
手放した後の即興の方が、物自体がなくて「目指す感じ」がクリアーになってやりやすかった。

「手塚の感想」自分が進行していると、大阪で実感したくらいまでは集中しきれなかった。残念。

●羽鳥君の訓練法
羽鳥君の普段練習について聞いてみた。かれは、「動かないつもりでいること」を1時間くらいやるそうだ。自分がどうしても動くという状態になるまで動かないで居続けるということだろうか。それで、「トランス」に近い状態になるらしい。右の肘がまず始めにどうしても動き始める。それでそこから「トランス」に近い状態に変容して行くらしい。自分でのそういったエチュードを持っているというのはすごい。彼は何かを見るとき、好きとか嫌いとかを自分の中で隠し、「自分にとってどの位置を示すか」あるいは「どう正当化するか」というところにいる、それを人と共有したい、ということで、私自身は「分かる」というところまではいかないけれど、心に留めておく。言葉だけでは「スタニラフスキーシステム」に近いけれど実質的にはちょっとちがう。

それが生きて見るすべてに対してそうしたいけれど、それは無理なので、パフォーマンスのときには、そこを徹底し、うまくいくとトランスするということだ。

●ゆっくりがトランスあるいは瞑想に誘う?
彼の知人がベケットのある作品で四角のポジションをただゆっくり回るというような作品を上演した時にお客さんの中でかならず泣いてしまう人がいるという。ソマティクスという体の手法は体をとてもゆっくり動かすというもので、この方法を経験した人の中で泣いてしまう人がいると言う。羽鳥君はフェルデンクライスにぐっとくるらしい。これは床に寝て床との接点を感じ呼吸をし、反対向きになって同じことをするというような内容らしく、ここではかなり大雑把だけれど、詳しく知りたいと思った。彼が動かない状態でいるというのと、立禅は近いかもしれない。


●手塚のダンスはトランスか?
私がダンスしている時がトランスかどうか、という話にもなって、例えば薬とかキノコとかでトランスする時を例えると、そういうトランスは、自分自身か深層の中に引きずり込まれているような状態なのだろうと思う。私は体は深層にアクセスしているのだが、私自身はそこにはいなくて、ただ傍観しているだけだ。そういう意味で、トランスではないと思う。

● トランスと瞑想は同じか?
トランスという言葉と瞑想という言葉があって、それはある部分で重なり、ある部分ではずれているのだと思う。けれど正確には認識しきれない。羽鳥君のそれはトランスなのか?でもきっと深層に自分がいるという感じではないということでトランスと言い切れない。もしかしたら瞑想と言えるものかもしれない。
そういえば、私のワークショップは、受講する人が瞑想状態に近くなるときがある。でも私自身はそうならないのが不思議である。佐久間さんのワークショップで経験したことは瞑想状態に近いのだろうか?